ハードコア・プロファイルズ

−人間の実存的状況の病理と処方−




第10回

立つことA

−逸脱の徴候−




ニ.ケース・スタディ

次の症例は特定の個人ではなく、複数のケースにおける典型的症候を組み合わせた構成し、脚色を加えたものです。


症例一:"声"を聞く

ある異端的な教えの影響を受けて自分の内的な"感覚"を主の導きとしているうちに"声"を聞くようになった。それは映画『スターウォーズ』の"フォース"のように、「目に見える所にたよらず、自分の"内的感覚"に従え」とする教えであり、しばしば客観的な御言葉をバイパスして、その"内的感覚"が優先される。

つねに自分の内側に注意し、その"感覚"による導きを求めているうちに混乱してきて、恋愛関係が破綻するに至り、天に向かって「神を呪ってやる!」と叫んだ時から、"声"を明瞭に聞くようになった。ある時には天井から三つの霊が出て来て自分とセックスをし、その"声"は自分の恋人が大怪我をしたからすぐに見舞いに行けと語った。そこである首都圏の市に出て来て、そこのホテルのフロントで問題を起こし、言っていることが分からないとして保護措置入院された。

"声"は自分を責める場合もあれば、慰めてくれる場合もある。ある時には"牧師"として幻の中に現れ、その"声"は自分にセックスを強要した。自分はその"牧師"によってレイプされた。その"声"はお前は汚れているとか、神に見捨てられたとか語り、そのような時には恐ろしいが、"声"と話し合うと慰められることもあり、それが聞こえないと寂しいこともある。その"声"には"インスピレーション"という名称をつけたりする。

【解説】このような"声"を聞くケースはいわゆる"霊(カリスマ)的"教会において一般的に観察されますが、この場合のポイントは精神分裂病(注:最近日本精神神経学会により「統合失調症」と改称された)との鑑別です。分裂病の場合の幻覚や幻聴は薬物に対しての反応が見られますが、霊的な"声"の場合は薬物にはほとんど反応しません。

これらの症例においてはもともと内向性が強く疎外感や孤独感を内に秘めています。「神の導きに服する」と称して"受動性"に陥る結果、マインド(思い)の中に敵の想いが頻繁に投影されるようになり、加えて"内的感覚"に従えという教えにより、外界から自ら退いて敵の投影した想いに注意を集中する結果、それが肥大化するに至ります。こうして恋愛の破綻などを契機として、現実からの逃避あるいは退行に陥ってますます内向化し、現実と"声"との識別ができなくなります。

女性の場合は特に寂しさと孤独感を癒すために、性的な妄想や逸脱を伴うケースが多く、しかもその幻の相手と"セックス(マスターベーションと区別がつかない)"すら行い、実際にオーガズムを得ることもあります。さらに自ら積極的に"声"を慰めとし、自らの存在の確認手段としているために、そこからの脱出がきわめて難しくなります。またしばしば過去において性的虐待や堕胎経験などのトラウマを負っている場合が多いのです。


症例ニ:"個人預言"をいただく/"預言"の訓練を受ける

人生のいろいろな問題で振り回され、家族関係や職場関係が壊れた。そこで神の導きに従うことを願い、個人預言をするという"預言者"の元に行き、自分自身の今後についての"預言"をいただいた。いただいた"預言"を頼りにしていつ成就するか待ち望んでいるが、いっこうに生活の展望が開けない。それどころかその"預言"に従って動けば動くほど周囲との問題が生じてくる。

ある"預言者"に「あなたの行動をすべて見透すことができる」と言われ、絶えず監視されているようで家にいても落ち着かなくなったり、牧師は神の代理人だから逆らうと神に裁かれると言われ、つねに何かの影に怯えるようになった。自分の感覚や思考もどれが自分のもので、どれが神からのもので、どれが敵からのものか、分からなくなった。つねに何かに追われ、何かに付きまとわれている感じがして、夜も眠れなくなり、特に暗い所が怖くて仕方がない。ある時には家族のことを預言してもらったが、"預言者"の言葉に従わないと家族の一員は死ぬと言われ、恐ろしくなった。地獄にいる多くのクリスチャンの幻を見た"預言者"の本を読んで怖くなった。

自分からすすんで"預言"をいただくために訓練を受けた。何とかして神の声を聞こうとして耳をすましても、ただ自分の思いの中に去来するもろもろの雑念が浮かぶだけで、どうしても神の声が聞こえない。「主はこう言われる」と確信を持って語るに足りる声を聞くことができず、そうこうしているうちに信仰に対する確信も失い、自分は脱落者と思えるようになって、救いの喜びも確信も喪失した。

【解説】しばしば"預言者"と称する人物を自ら積極的に吟味することなく、その言葉を受動的に受けてしまい、内側にクサビを打たれてしまうのです。すでにヨハネの時代にも偽りの霊は働いていましたが(第一ヨハネ四・1)、今日その活動は特に活発です。

これらの兆候はサウルのように占い師や霊媒師を頼る精神状態と同一です(第一サムエル二十八章)。状況を自分で制御できなくなる時に、その不安感と緊張感を解消するために目に見える対象を頼るようになります。クリスチャンの場合、内にいますキリストの油があらゆることについて教える(第一ヨハネ二・24)とあるにもかかわらず、物理的な対象を当てにするのです。

内なる油塗りに従うことと偽りの"声"に従うことはまったく異なる結果をもたらします。イザベルの元から逃げたエリヤも、一人山篭りをする際に、嵐の中でもなく、地震の中でもなく、炎の中でもなく、静けさの中に聞こえる神の声を聞くときに、勇気と力を得て、再びイザベルと対決に戻ることできたのです。聖霊によって神の語る声はけっして聖書の御言葉と矛盾しませんし、恐れ、不安、緊張などを生みません。それは耳を澄まして聞こえるものではなく、霊の直覚によって把握するものです。内側は新鮮に潤され、新たな力と勇気を得ることができるのです。「羊はわたしの声を聞き分け」とあるとおり、"預言者"に頼らずとも誰でもイエスの声を聞き分けることができるのです(ヨハネ一〇・27)。

今日外側には神の客観的な言葉(聖書)があり、内には神の言であるキリストを証ししあらゆる真理に導く御霊がおられます。この二つが共鳴する時、私たちの内には真理の光が光ります。新約での御霊と私たちの関わりは旧約とは本質的な違いあることを知る必要があります(前回参照)。


症例三:悪霊を恐れる(パラノイド)

"霊の戦い"を積極的に推進し、神社の周りを回り大声を出して「悪霊よ、出ろ!」と叫ぶ訓練を受けた。地蔵を見ると倒れたりする人を見て違和感を覚えたが、こうすることが霊的なのかなと思った。ある時に悪霊に向かって叫んだところ、それ以来色々な問題が続くようになり、家族関係などがメチャクチャになった。

そうこうしているうちにいつも頭の中が悪霊のことでいっぱいになってきて、どこそこに悪霊がいる、だれだれに悪霊が憑いているなどの言葉を聞くことが怖くなった。いつも「イエスの名と血によって」というせりふを呪文のように唱えていないと不安でしかたがなくなった。

考えてみるとサタンの方が自分よりもはるかに力がある存在だから、とてもかなわない感じがして、自分の人生のあらゆる領域でサタンの妨害や攻撃を受けているようで、つぶされそうな感じがする。また絶えず罪定めや、お前は失敗者だなどの"声"が頭の中に響き、消そうとすればするほどガンガンと響いてきて、仕事も手につかなくなってしまった。

【解説】完全にパラノイド状態に陥っています。敵をあえて挑発することは決してよい結果を生むものではありません。ミカエルでさえ悪魔と論じ争った時にあえてののしって相手を裁こうとはせず、主の御手に委ねたのです(ユダ九節)。

このような精神状態は別に悪霊に憑かれたのではなく、強迫性障害と言います。あることに注意を集中するとその対象が意識の中を占めるようになり、意識から追い出そうとするとますます思い起こされる精神病理です。試験の前の晩によく眠ろうとするほどに目が冴えて時計の音などが気になることは誰でも経験します。これが極端になると前回述べた強迫神経症に陥ります。

福音の本質はすでにイエスが十字架で成就された事実を受け入れ、そこに留まること、また思いの中にはキリストと御言葉を中核に置くべきことを忘れています。私たちは人々の注意をサタンや悪霊に向けさせるのではなく、キリストに向けさせるべきです。