ダイナミック・フリーダムD

―キリストにある自由の獲得―


偽りを対処する(2)




(2)偽りの教え

(a)その種類:現代は「ミイラが生きている」と主張するあからさまなカルトがはびこる一方で、キリスト教会にも知らないうちにひたひたとニューエイジが巧妙に入り込んでいます。またヒューマニズムなるものも「自由・平等・博愛」のキャッチフレーズの下で知らぬ間に蔓延しています。さらにいわゆるエキュメニカル・ムーヴメントなども、それが人間的方法で真理に妥協を加える形でなされるならば巧妙な偽りです。これもクリスチャンが弱い部分です。これらのコピーはあたかも現代の"水戸黄門の印籠"のようなものです。

しかしこれらの"人の目に慕わしく良く見えるもの"はたいてい偽りです。サイコセラピーなどの形で魂の能力を活性化する試みがなされ、また自己啓発セミナーによって自我の肥大化現象を誘発します。これらのものはすべて魂にとって魅力的ですが、主イエスの教え、「魂を否むこと」と真っ向から対立します。特に終わりの時代、敵の策略は巧妙ですから、よくよく目を覚ましている必要があります。あらゆる教えの風に吹きまわされるべきではありません(エペソ四・14)。

これらの偽りの教えはすべてキリストの十字架の効力を否定し、油塗りを阻害し、ひいては御霊の働き、すなわちキリストの言葉とわざおよびキリストのパースンの証しを無効にすることを意図しています(マルコ三・29、ルカ十二・10)。キリスト(=油塗られた者)の油塗りに対立するものは、特定の人物を指すまでもなく、すべて"アンチ・キリスト(=反油塗り)"です。
 例えば
 @偽キリストとその教え(マタイ二十四・5、第二コリント十一・4)
 A偽預言者とその教え(マタイ二十四・24、第一ヨハネ四・1)
 B偽りの教え(第一テモテ四・1)
 C偽りの徴と不思議(マタイ二十四・24)


(b)対抗策:現代は実にこれらの現象が世界中で活発に観察されます。私たちはエバのように目で見るものによって容易に欺かれます。サタンのアクセスのチャネルは、「肉の欲」、「目の欲」、「暮らしぶりの自慢」でした(第一ヨハネ二・16、→「ダイレクト・カウンセリングG」)。これらのものは特に私たちの視覚系に訴えるのです。しかるに私たちは目に見えるところによらず、信仰によって歩むべきです(第二コリント五・7)。その信仰はキリストの言葉を聞くことによります(ローマ十・17、比較:ヨハネ二十・29)。

クリスチャンのうちにはキリストからいただいた油があり、この油はすべてのことを教え、その教えは偽りではありませんから、私たちはそこにとどまるのです(第一ヨハネニ・20-29)。世界的に有名な器や、華々しい聖会をめぐり歩くまでもなく、私たちは私たち自身の内にいますお方に注意を払うのです。この方はこの世にいる者よりもはるかに偉大です(第一ヨハネ四・4)。ところがクリスチャンはしばしば青い鳥を探してさ迷い出てしまうのです。

また私たちは自分の心に欺きがあるとき、敵に容易に付け込まれます(ヤコブ一・14,15)。キリスト教会でよく聞かれるゴシップや嫉妬による批判などで振り回される人は、実は自分自身心が二つに分かれて安定感が欠如し、自分を欺いている人です(ヤコブ一・8)。

また私たちの伝道や証しや奉仕の動機が自己の栄光にあるとき、私たちは容易に騙されます。「サタンよ、主の名によって、引き下がれ!」と大声で命じる前に、自分の内にサタンに付け込まれる要素がないかどうかをチェックする必要があるのです。自分の中にそのような要素を残したままでは、サタンに命じても何らの効がありません。私たちは霊肉の汚れから自分をきよめ(第二コリント七・1)、まず神に服し、次に敵に立ち向かうのです、すると敵は逃げ去ります(ヤコブ四・7)。イエスにはそれがまったくありませんでした(ヨハネ十四・30)。

そして最後にカルトや異端を生み出す霊の識別が必要です(第一テモテ四・1、第一ヨハネ四・1-6)。この霊の識別力は私たちの知性や直感などの魂由来のものではなく、御霊の賜物です(第一コリント十二・10)。現在キリスト教会にあってなされている徴や不思議、さらには預言や幻などについても、盲目的に受け入れるべきではありません。すでに神と人の関係にとって必要十分な啓示が御言葉の形で与えられている現代においては、パウロの言葉すら御言葉と照合していたベレヤ人のように、十分なる吟味が必要です(使徒十七・11)。本物であればいかなる批判や吟味にも耐え得るものです。この点、日本人はあまりにもナイーブで無防備です。背後に働く霊を十分なる注意を持って識別すべきです。

異端やカルトの一般的特徴としては、必ず"自己高揚"が見られます。「自分たちだけに啓示された現代の真理」とか、「自分たちだけが経験していること」などの主張がなされる場所は危険です。クリスチャンの相互関係の本質は、"自分たちだけ"ではなく、分かち合いにあります。

サタンの本質は自分が神になりたいのです。そこでその欲望を人間に投影し、「人が神になる」という思想がニューエイジやカルトでは必ず観察されます。純粋なクリスチャン信仰の動機は「自己否定とキリスト実現」ですが、カルトのそれでは「自己高揚と自己実現」です。ベクトルの向きがキリストに向くか、自己に向くか、これが識別の鍵です。


■三、信仰の宣言と祈り



天の父よ、イエスの御名と十字架の血潮の力によって、私は自己欺瞞を捨て去ります。私の内に、自分をまたあなたを欺いている部分がありましたら、それを照らし出して下さい。一切敵が私に付け込むことがないように、すべてを露わにして下さい。あなたの御手に触れられるのを避けてきた領域を保留してきたことを赦してください。すべて光の下に置かれるとき、敵の闇の力が破られることを宣言します。

主イエスよ、私はまた自分自身の考えを御言葉よりも高くしてきたことを告白します。大祭司であるあなたの天の至聖所におけるとりなしを感謝します。あなたの血潮で清めて下さい。今、私はあなたの御前に遜ります。私の思いを、あなたの約束通り、真理の御霊によって導いて下さい。私は自分と他人に対して自分の言葉を語らず、御言葉どおり真理を語ります。自分を欺いてただ聞くだけではなく、御言葉を行うことができるよう、御霊によって助けて下さい。

天の父よ、真理の内に歩めるよう、聖霊によって助けて下さい。御子の十字架によってサタンはすでに敗北し、今やキリストの内にある私を罪定めし得ないこと、むしろサタンが裁かれていることを信じます。彼は私たちに一切手を触れることができないことを宣言します。イエスの十字架のゆえに、真理によって私は自由とされています。

イエスの御名と血潮によって、私は敵による偽りと欺きをすべて捨て去ります。私は御言葉によらない、間違った人間的な神観を拒絶します。あらゆる偽りの預言、偽りの幻の影響を拒否します。これまで聞いてきた偽りの教えを拒否します。そして私にそれらの真理に対立する教えをした人々を赦します。彼らの目と心が開かれるように祈ります。私は今、改めて神の真理の御言葉と真理の御霊の導きに自らをお委ねします。

私は今、イエスの御名によって私のあらゆる領域に関わろうとする偽りの霊に対して権威を行使します。彼らが私に何ら付け込む隙がないことを宣言します。私はイエス・キリストの言葉のゆえに、その影響からすでに解かれていることを宣言します。

イエスの御名と血潮の力によって、私は敵のあらゆる活動を拒否します。オカルト、カルト、偽りの宗教、占い、偶像、迷信などのあらゆる悪しき影響を拒絶します。特に私は[   ]との関わりを拒絶し、これらから解放されていることのゆえに神を賛美します。

天の父よ、真理の御霊によって御言葉の真理のうちに歩ませてくださることを感謝します。今私はあなたに対する全面的明け渡しを新たにします。私を暗闇の支配から御子の支配へと移して下さったあなたの愛と恵みを感謝します。主イエスの御名によって、アーメン。(注意:[   ]にはご自分が関わった具体的問題を入れて下さい。)



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