コリン・インタビュー|キングダム・フェローシップ



コリン・アーカートに自身と

ミニストリについて聴く


(リバイバル新聞掲載記事)



現在まで日本ではキングダム・フェイス・ミニストリーズ(KFM)はほとんど知られていないが、私も含めてキングダム・フェイス・バイブル・カレッジ(現キングダム・フェイス・リバイバル・カレッジ)出身者数名が日本でも働いている。今回彼とそのミニストリーについて概説し、インタビューを交えて紹介する。


キングダム・フェイス・ミニストリーズの歴史と現在



11.jpgコリン・アーカートは一九四○年生まれ。名前から分かるとおり(ネス湖の脇に有名な崩れたアーカート城がある)祖先をスコットランドに持つ。しかしクリスチャン的バックグラウンドのない家系であった。彼は幼い頃から「なぜ神は私を造られたのか」という疑問にとりつかれ、個人的に神に語りかける中で神を知る。

十三歳で主の召しを覚え、当初は建築学を志望するも、主の導きによりロンドン・キングス・カレッジで神学を学び、聖公会教区牧師となる直前の六三年、呼吸ができなくなるほどの主の強くかつ重い臨在を覚えると共に深い平安が臨む経験をした。これが彼の聖霊のバプテスマの経験であった。

彼の就任した教区においては著しい御霊の表れとしるしが伴い、特に癒しのわざが顕著に現れるようになり、彼の教区の人々も次々に聖霊のバプテスマを受け、群れは拡大した。彼自身はその当時いわゆるペンテコステ運動やカリスマ運動などはまったく知らず、自分自身と周囲に起きることにむしろ驚きを覚えていた。六九年ごろウォッチマン・ニーの"The Normal Christian Life(邦訳:キリスト者の標準)"(いのちのことば社)によって、自分が神の子であることの明確な啓示を得ると共に、自分の経験に対する霊的理解を得た。その後も彼がレッド・ブックと呼ぶ"The Spiritual Man"(CFP)などにより、ニーの深い霊的影響を受ける。

彼はそのミニストリー開始の初期(六四年ごろ)において、「あなたの言葉は国々の間で聞かれる。あなたが語らなければわたしの民はわたしの言葉を聴くことができない。」という明瞭な神の言葉を聴いていた。しかし彼自身の反応は「そんなことはあり得ない」というものであり、あまり気にも留めてはいなかった。当時の彼は教区牧師としてつつがなく職をこなすことだけを考えており、インターナショナル・ミニストリーなどは展開する意図も願いもなかった。すなわち現在の彼の影響力は彼の野心や手段によるのではなく、神の選びと力によるものである。若い頃の彼は"flower on the wall(壁の花)"と言われるほどにきわめて大人しい、むしろシャイな人物であり、プラットホームで語ることを考えただけで身震いする性格であった。

徐々にアングリカンにおいて彼の評判と影響力は高まるが、再度主の語りかけ「あなたの言葉は国々の間で聞かれる。あなたが語らなければわたしの民はわたしの言葉を聴くことができない。」を聞き、七六年、少なからぬ葛藤を経るも主の導きにより聖公会を辞し、独立してミニストリーを開始する。当初は巡回説教の形でわずかの協力者と共に展開していたが、八三年、ミニストリーとバイブル・カレッジのベースとなる建物をウエスト・サセックスのホーシャムに獲得し、現在のミニストリーの基礎が確立した。この建物の購入はボブ・ゴードンと共にチャレンジを受け、信仰によって応えた実であった。

その後バイブル・カレッジに御霊に満ちた神学者の故ジョン・マッカイ(二○○一年召)が加わり、聖書の体系的な講義を担当し、彼の編集したスタディ・コース"The Way of the Spirit"は現在までKFRCの中心的コースとなっている。KFRCの特徴は、いわゆる普通のバイブル・カレッジとは異なり、知識としての神学を学ぶ場ではなく、神に直接に触れ、神の臨在の中で霊を養い、また人々に霊の養いを与えることができる人材を養成することにある。この意味で日本的な「神学校」のイメージとは全く異なる。

また彼のミニストリーの核心はウォッチマン・ニーと同様に−もちろんそれがキリストご自身のミニストリーでもあったが−十字架の中心である「自己の死とキリストにある復活」を神の御言葉と真理に基づいて鋭くかつ直裁に説くスタイルであり、しばしば肥大した自己の実績を誇る人々や宗教的な人々の肉を刺激し、言われなき批判や中傷を受けた。特に八九年には"預言者"と称する人物による"預言"によって、それを信じた多くの人々が彼の元を去り、ミニストリーの継続がほとんど絶望的になったこともある。しかし九二年にはキングダム・フェイス・チャーチ(KFC)が誕生し、拠点となるホーシャムに約千人、全英で二千名ほどに成長している。

最近では二千人収容可能なナショナル・リバイバル・センターの設立、キングダム・フェイス・リバイバル・カレッジによる全世界からの聖徒の訓練、衛星テレビ・ラジオ放送、インターネットなどのメディア戦略にも力を入れており、アフリカやヨーロッパ各地にミッションも派遣している。いわゆる牧会・教育的場面から脱皮して、使徒・預言的ミニストリーの回復に比重を移している。その著書は十数冊にのぼり英国および旧英領圏でベストセラーとなっている(現在彼の主要著作の邦訳原稿は完成しているが、まだ出版されていない)。そのミニストリーの特徴は神の言葉を混ぜ物や妥協することなくダイレクトに説き、御霊が同時に働くことに委ねるスタイルであり、いわゆる賜物やしるし・不思議の追求などは副次的なものであり、いわゆるペンテコステ・カリスマ運動とは一線を画している。「ダイレクト・カウンセリング」は彼の提唱した手法である。

KFCはいわゆる教団でもなく、教派でもない。すなわちいっさいの人間的組織を形成していない。KFRCの出身者もそれぞれが独立してミニストリーを展開し、また教会の名称も各地ごとにそれぞれである。各地ごとの教会の自立性と主体性を重んじ、各教会が直接に主に対して責任を負う。互いの関係はCovenant Relationshipによって結ばれているが(これもまったく自由)、支配・被支配の関係はまったくない。もちろん理事会や役員会なるものも存在しない。メンバーはキリストの体の肢体である自己認識にあって互いの関係を確立し、それぞれ主の導きに直接従うことだけが求められる。日本では横浜にキングダム・フェロシップ・チャーチ(Dr.ルーク)、北海道に岩内自由教会(Max& Sheila Garaham)がある。

コリン・アーカートに聴く


ルーク:今回は取材の機会を感謝します。まずあなた自身の霊的歩みについてお話し下さい。聖公会におられた時に、ウォッチマン・ニーの著作によって霊的な目が開かれたとのことですが、その辺りもお話し下さい。

6.jpgコリン:私は元々聖公会の教区牧師でしたが、別にインターナショナルなミニストリーなどは考えていませんでした。しかし聖霊のバプテスマを受けた後、いろいろなことが変化し、また自分の周りでも御霊のわざが顕著になっていったわけです。そのようなときにウォッチマン・ニーの『キリスト者の標準』を読み、自分が神の子であることの明確な啓示と確信を得て、それから自分のこれまでの経験に対する霊的理解が深まり、真理が次から次に開かれ、ミニストリーも実り豊かなものになりました。

ルーク:キングダム・フェイス・ミニストリーズの特徴と働きについてお話し下さい。

コリン:スローガンは「愛によって働く信仰」です(ガラテヤ五・6)。愛のない信仰は無意味ですし、信仰のない愛は幻想に過ぎません。大切なのは愛によって働く信仰です。KFMは人々の信仰を息吹き、励まし、信仰によってキリストにあるその人を建て上げることが重点です。単に信者をつくるだけではなく、キリストの弟子を育てる必要があります。さらに教会の中だけの祝福とか油塗りではなく、社会に対するインパクトをもたらす必要があります。人々の思想や行動に影響を与えるのです。もちろんこれをなし得るのは神ご自身ですが。

ルーク:このキャンプでもキリストの御臨在がきわめて深く、いわゆるカリスマ運動などの聖会とは霊的雰囲気がちょっと違うのですが、現在の賜物、しるしや不思議・・・と追求する一般的風潮についてはいかが感じられますか。

コリン:彼らはポイントを外しています。彼らの賜物の追及の姿勢はセルフィッシュ(自己中心的)です。自分のために求めているのであって、主のためではなくなっています。キリストの臨在を差し置いて、賜物を求めても無意味です。私たちはいわゆる「フェイス・ムーヴメント」ではありません。私たちは自己を脇においてまずキリストの御臨在に与ること、そのために御霊を求めるのであって、キリストの臨在を外せばすべて無意味です。

ペンサコラもトロントも初期の段階では確かに御霊によって重要な働きがなされ、素晴らしい証しもありましたが、段々と聖なる笑いとか、床を転げ回るとかなどの目に見える現象の追求に陥って内向化し、自分たちの何かを求める姿勢になってしまった。だから社会にインパクトを与えることがおろそかになったのです。

ルーク:ここでは御霊によるキリストの臨在がきわめて濃厚ですが、一般的に言ってイギリス全体としての霊的状況はいかがでしょう。

コリン:きわめて貧しく貧弱です(注)。多くの教会は宗教的であり、儀式や規則などで縛られており、御霊の自由な働きを阻害しています。ヨーロッパ全体としても同様で、国々はますます堕落し、涜神的になってきています。クリスチャンも社会活動などに陥っており、霊的ないのちの覚醒が必要です。
(注)私の友人のパスターの証言によると、英国でも真に霊の再生を受けた(born-again)クリスチャンは一、二%であろうとのこと。この意味では日本は別に特殊ではない。キリスト教徒の数は多くてもいのちを得ている者は少ないのである。
ルーク:ミニスターの任務というか、責任は何であると考えますか。

コリン:人々をキリストにもたらすことです。そしてキリストの弟子を作ることです。そのためには自分が油塗りを受けるだけではなく、全体が油塗りを得る必要があります(詩篇百三十三編)。永続する実を得ることです。

ルーク:KFMの最近の御霊による働きはどんなものがありますか。またそれらを成功させる秘訣はなんでしょう。

コリン:一言では言えません。とにかく私たちが神の招きに信仰によって応じるときに、御霊によって多くの事柄が建て上げられて行くのをみることができます。鍵は信仰による従順です。具体的にはバイブル・カレッジの拡大、フェイス・キャンプ、テレビやラジオ、インターネット、ミッションの派遣などがあります。これも次の世代への準備とも言え、次世代はわれわれよりもさらにアグレッシヴでしょう。

7.jpgルーク:あなたのプラットホームにおける言葉には権威と力が伴っていますが、御霊の力を解放する秘訣はどこにありますか。

コリン:人の側から言えば、信仰です。神の招きに従順に応じる必要があります。神の側から言えば、神のご計画とタイムテーブルです。神にはご計画があり、また神の手順があります。それに私たちが応じて従うとき、神の力が解放され、何かがなされ、何かが建て上げられていきます。

ルーク:日本などのアジア諸国に対するアウトリーチについてはどのように考えていますか。

コリン:私もシンガポールやフィリピンなどで奉仕したことがありますが、現在は西ヨーロッパの神の働きに主力を置きたい。しかし日本からあなたがたが来てくれてうれしく思います。OK、とにかく私はキリストをエンジョイしています。ですからキャンプでも、私が一番この深いキリストの臨在を楽しんでいるでしょう(笑)。だから疲れるとか大変だとかいうことはないのです。プラットホームでもそこに御臨在するキリストに触れるのです。そして楽しむのです。だから私が一番若いんじゃないでしょうか(笑)。

以上のように話す彼にはひじょうに深い平安と主の臨在が伴い、少し近寄りがたい威厳と権威を感じさせた。霊的権威とは学歴とか学位によるものではなく、十字架により自己を否み、キリストの臨在の中を歩む時に帯びてくるものであることを再確認した。


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