Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2012.06.24

悠久のエルサレム

私たちエクレシアは主の血による贖いを通し、全くの恵みによって救われましたが、ただその恵みに浸ることだけが全てであるなら、キリストの花嫁としての存在意義は見いだせません。第一の人の嫁であれ、第二の人の嫁であれ、目的は夫の助け手として造られたのに不用だからです。その助けは夫とともに神のエコノミーを担うことに向けられるべきものなのに、残念ながらエヴァはエデンの園で失敗してしまいました。エクレシアは来る新エルサレムでのチャレンジが待っています。 そこで主とエルサレムの関わりですが、エルサレムの街そのものは異邦人の街として生まれ、主が目的を持ってそこを訪ねたわけではなく、全くの通りすがりに息絶えそうな状況に「生きよ。生きよ。」と神のロゴスがレイマとなって臨んだのがはじまりです。私には復活の主が弟子たちに復活の息を吹きかけられて、えい児としてのエクレシアが生まれたのと相通じるものが感じられるのです。イスラエルが約束の地、乳と蜜の流れる地に入ったときには、聖絶の対象となっている人(エブス人)たちの街でもありました。ダビデがヘブロンからシオンに都を移してからエルサレムという名が登場します。その後時代に翻弄されながらも消滅したイスラエル国家が再建され、1967年6日戦争でエルサレムが復帰するとは!なんて主の深い愛着でしょう。そして主の再臨後、私たちは主と共に新エルサレムを形成しますが、エクレシアとエルサレムが同義語になる時でもあります。ともに‘都上りの歌’を歌いましょう。                                      


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聖句:創2:15-18、エゼ16:1-14、黙21:1-4、詩133