Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2011.12.11

終末の光

この世の創造において私たちの神が第一日目になされたことは、混沌とした闇であった世界に光をもたらしたことでした。また、サタンの誘惑にのって堕落し、闇で覆われてしまい失われた人の心に神が最初になされたことは、その闇で覆われた心にいのちの光を差し込ませることでした。そしてその光と出会った私たちは、土くれのなかにいのちの光を持つ者とされたのです。今後世の中は終末に向かい、ますます暗くなっていくでしょう。しかし暗くなればなるほど光の輝きは増していきます。そして真理に歩み、光に惹かれて近づいてくる者と、その明るさを避ける者とにはっきりと分かれていきます。また、暗くなればなるほど心にいのちの光を持たない者は、世の中の動きにつまづいて行くでしょう。そのため人々は、知識、世渡り、聖書の解説書、有識者など(クリスチャンは牧師など)の人の知識を光の代用品として用い、何とかつまづかないようにと頑張るでしょうが、闇の世をつまずかないように照らす光の代用品は、人の手では作り出せません。それらに長けていたパリサイ人や祭司達のほとんどがイエスにつまづいたように、終末の闇の中でこれらに頼っている人々は皆つまづいて行くことでしょう。頼りになる光は主イエスキリストの光のみです。そして、それに頼っている限り、闇の世にあっても光の中で暮らす事が出来るのです。                          


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1 主は闇の心に光を差し込ませ、人生を変えられる。

天地創造の業と同じ。創1:2

パウロの出会いも天の光 使9:3 正に、希望の光。

 ヨブ33:23-30

光を遮るのは、敵であり、自分。2コリント4:3-7、ヨハネ3:18-21

2. 光と出会った後の歩み

光がないと、つまずく。ヨハネ11:8-10

しかし、私たちは闇の子ではなく、昼間の子、1テサ5:5

ただしイエスが十字架に付けられたからと言って、自動的に罪がきよめられるわけで

はない。光の中を歩むことが条件。ヨハネ8:12、1ヨハネ1:7

3. 終末での歩み。

3-1 光と闇の区別。

終末になるほど、闇に属する者達と光に属する者たちの区別がはっきりとしてくる。

光の子たちが集まっているところに、主は光を当てられる。出エジプト10:21-23

3-2 終末では闇が深まり、光の中にいないとつまずく。1テモテ4:1

その日が近ずく ⇒霊的戦いの激化とともに地上では肉的に眠くなる。

10人の乙女、ゲッセマネでの弟子達の居眠り。

私たちにできることは、目を覚まして主との交わりを保ち続けること。

 1テサロニケ5:2-6、マタイ26:41

盲人の癒しのたとえ ヨハネ9章

3. 結論

詩篇56:12 神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、

あなたにささげます。

56:13 あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出し

てくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。