Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2011.04.24

携挙に備える

時代はダニエル書の70週の最後の1週の開始の間近にきています。私たちはそのことの目撃者となることでしょう。ニッポンキリスト教はもとより、いわゆる宗教としてのキリスト教はすでに背教に落ち、いずれ主の裁きの御手が置かれます。あの「荒らす憎むべき者」の出現を待つばかりになっています。さて、そこで携挙について見てみたいと思います。生きたまま天に上げられた人はすでに旧約聖書に中にもおります。エノクは神と共に歩んだので神に取られました。主の言葉を大胆に証し、イゼベルやバアールと対決し、またささやかな主の声を聴いたエリヤも竜巻の中で天に上げられました。そして新約ではもちろん主イエスです。これらはみなこれから起きるであろう携挙の型であると考えられます。彼らの特徴は何でしょうか。それは主と歩み、主のことばに忠実、主の御旨を行ったとまとめられます。ここまではいわゆるキリスト教的な条件ですが、ではその源は何だったのでしょう。それは十字架であり、キリストとセルフを切り分ける働き。彼らは地のモノに思いを置いていなかったのです。身体は地へと引きずられます。霊は天を志向します。その狭間にあって自由意志を有する魂はどちらを選択することもできます。エリヤですらイゼベルに脅された時、恐れをいだき、つまり感情に従って逃亡したのです。しかし主の声を聞くとき力を得ました。主のことばは霊であり、いのちです。そのことばによって死人は生きるのです。そして究極的に神に対して100点満点を得た方がイエスです。その方が死と復活を経て、今、私たちのうちに生きています。この方を発見することが究極のリバイバルであり、この方にあって、この方のために、この方によって生きること。これがおそらくは携挙されるための備えとなるのでしょう。初穂として挙げられる可能性を持つ私たちは素晴らしい特権を持っているのです。


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@旧約の型:
 ・エノク:エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。-創世記5:24
 ・エリヤ:主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。-2列王記2:1

A新約の実質:
 ・主イエス:こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。・・・・そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」-使徒1:9-11
 ・参考:ピリポの例(使徒8:39)

B携挙の条件:
 ・人間=霊・魂・身体
 ・霊:天を志向;身体:地上を志向→魂の選択(ローマ8:6,10;)
 ・十字架により魂と霊の切り分け(ヘブル4:12)→神の声を聞くこと
 ・主のことばは霊・いのち(ヨハネ6:63)、聞く者(akouo=意識して耳を傾ける)は生きる(ibid. 5:25)cf.イエスの血の力(レビ8:23)

C五感によらない生き方:私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(2コリント4:18)
→霊で感知する(ヨハネ11:33;13:21;ルカ9:54)