Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.10.11

意志の領域

イエスがなさることは父のなさること、語ることも父の言葉でした。父はすべてを子に示されたからです。では、彼は父の奴隷として、自己疎外的・機械的に父の命令を守っていたのでしょうか?違います。イエスはご自分の意志をちゃんと持っていました。その意志と父の意志は解け合っていたのです。ですから父が復活のいのちを与えるように、子も思うままにいのちを与えることができると言われました。また裁きも父から子に任されていました。ここに意志のあり方のモデルが示されています。私たちの意志は時に頑なで、自分の何かを通そうとする傾向があります。そのときには神の意志と対立し、平安を失い、葛藤を経験するでしょう。イエスですらゲッセマネにおいてそのような葛藤を経ました。が、彼の勝利の鍵は、父の御心を意識的に選んだことでした。それは人生の中で時々に訪れるクライシスの瞬間です。しかし普段のイエスはきわめて自然に振舞い、時に怒り、時に喜び、時に泣き、時に叫んでのです。しかし彼は決して父の意志の領域から離れることがありませんでした。御子が御父に服すれば服するほど、父は子に任されるのです。同様に私たちの意志と父の意志が解け合うほどに、私たちも自由裁量の領域が拡大し、自由に振舞いつつ、なお、父の御心を行うことができるのです。孔子も「己の欲するところに従って則を越えず」と言いました。私たちはいわゆる奴隷として、機械的に強制的に行うのではなく、喜んで服し、自ら明け渡すとき、平安と喜びが満ちるのです。かくしていのちはますます増殖するのです!自由に生きることを楽しみましょう。


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聖書:ヨハネ5:19−21;マタイ26:39−42

 @子は父のなさることをし、自分からは何もしない;父は子になさることをすべて示される
 A父が復活のいのちを与えるように、子も与えたいと思う者にいのちを与える→父の意志と子の意志がひとつ
 B父は裁きを子に任される→子の意志が父に服するとき、選択の領域が広がる
 C父と子の意志の葛藤もある@ゲッセマネ→意識的にどちらを優先するか


●暗証聖句●

マタイ5:19-22 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。・・・すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。

マタイ26:39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」