Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.09.21


流れるままに(4)

十字架は、第一義的に、滅び行く人間のためにあるのではありません。神の証しです。それは神が愛であり義である方であることを証しているのです。それはアダムが眠らされている間に、アダムの傷からエバが造り上げられた様に、キリストの傷によって生み出された教会(エクレシア)を得るためです。究極的にエクレシアは小羊の花嫁、新エルサレムとして完成されます(前田訳)。この妻を得ること。これがキリストのすべての心です。夫たるキリストは妻たるエクレシアを愛し、完全に信頼し、御名の権威をすら委ねて下さっています。私たちは真珠よりも尊い存在とされます。エクレシアはキリストの満足を満たし、キリストに幸いを捧げ、あらゆる良きものを捧げます。そのためにはキリストに取り扱われる必要があります。キリストの善意によって内側が扱われるほどに、キリストの満足をお返しできるのです。妻は羊毛と麻布を求め、それを仕上げます。私たちの救いも、第一に神の恵みによります。それは信仰による賜物であって、私たちの行為によりません。私たちはすでに神の義であるキリストを得ています。羊毛のように白くされました。それは神の側の責任です。それはすでに完成しています。それを信じるならば、私たちの行為が伴います。これが聖徒の正しい行いである麻布です。私たちは地上の生活において、自分の救いの達成を追及する必要があります。それは人間の側の責任です。神の責任と人間の責任が呼応する時、私たちの内側にキリストが形作られ、それが私たちを通して表現され、いのちが流れ出るでしょう。こうして神の国は拡大するのです。 


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=キリストの妻@=


聖書:箴言31:10−15

(1)十字架の本質は神の証しと、神の御心の充足(創世記2:18)

(2)キリストの必要=賢い妻(箴言31:10)

(3)真珠よりも尊い(黙示録21:21)→小羊の花嫁新エルサレムの12の門はそれぞれひとつの真珠でできる
 注:新エルサレムとは小羊の花嫁である信徒の集まりである(前田護郎訳)

(4)夫は心から妻を信頼している(マタイ25:14;ヨハネ14:13)、儲けに不足することはない(マタイ25章)

(5)妻は生涯の日々、夫に幸いをもたらすが、災いはもたらさない(エペソ5章;1ペテロ3:7)

(6)羊毛と亜麻を求め、自ら仕上げる→羊毛は白く覆うもの(罪を覆う神の義、ローマ3:22;詩篇147:16;イザヤ1:18)、亜麻は聖徒の義(黙示録19:8)=神の責任と人の責任(cf.エペソ2:5;ピリピ2:12)

(7)パンを持ってきて(備えのパン;ヨハネ12:2)、夜明け前に起き(ルカ12:38)、一族のために備え(cf.1コリント3:2)、召使に指示する(cf.ヘブル1:14)