Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.12.16

神の国の奥義(34)


イエスは王でした。天地は彼にあって造られ、彼にあって支えられています。しかし初臨のイエスはへりくだり、見下げられ、拒絶された王でした。群集はラザロの蘇り譚やイエスによる徴に興奮し、彼を王として迎えました。しかしイエスはろばの子に乗ったのです。ろばの子にのる王。ある意味で滑稽な場面です。これが私たちの王です。知恵を愛するギリシャ人もイエスの噂を聞いて、彼に会いに来ました。何か彼らの期待を満たすことを主は語ってでしょうか。主は魂を捨てる者は得て、愛する者は失うと言われました。これが神の国の法則です。そしてご自身の栄光が十字架であること。人々はメシアは地を治める者であり、律法によれば永遠にいる方と思い込んでいましたが、しばしば私たちの思い込み(期待)と主の業は異なるのです。人は十字架を回避しますが、神の方法はつねに十字架です。光がある間に光を得ることができれば幸いです。私たちのうちに光を照らしていただくためには、十字架を経る必要があります。神は人の心に従って人をお取り扱いになります。私たちは人の誉れではなく、神の目にどうかを問いましょう。そしてイエスのことばにどう応答するか。これが私たちの運命を決定します。すべてはキリストのことばにあって、キリストのことばによって。永遠のいのちであるキリストのことばを豊かに内に住まわせることが鍵です。


<<週報メッセージアウトライン>>
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人となられ神たR


■御言葉:ヨハネ12章12−50節

@ロバに乗る王(14節):主のへりくだり(ゼカリヤ9:9)
A私たちの思いの性質:後ほどわかる(16節)→意味づけを焦らない(スペキュレーションを避ける)
Bギリシャ人の訪問(20節):ギリシャ人は知恵を愛する、しかし主の回答は「一粒の麦」(23-26節)
Cメシアに対する人の期待と主の栄光(27-34節)
D人の子の本質=光(35-36節)
E信じない者たちのわざわい→癒される事が無い(40節):主は人の心を知っておられ、その心のままを許される(ローマ9:13;ヘブル12:16-17)
F人の誉れと神の誉れ(43節)
Gイエスのことばによる裁き(44-50節)→イエスのことばにどう応じるかがすべてを決めるイエスのことばが真理であるから(イエスのことばに対立することは父に対立する事)
H私たちの運命はキリストのことば(いのち)により形作られていく



■暗証聖句
12:14 イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。
12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ
12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
12:36 光の子となるために、光のあるうちに、を信じなさい。」
12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしはとして世に来た。
12:50 父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。