Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.09.30

神の国の奥義(26)


イエスは、ご自分の時はまだ来ていないとしながらも、ユダヤ教の3大祭りである仮庵の祭りに密かに登られました。この祭りは収穫祭とも言われ、7日間続く喜びの祭りでした。しかしそこにいた人々はその祭りの実体であるイエスご自身を認めることがなかったのです。イエスの振る舞いには密かな部分と、公けの部分があります。これはエルサレムに約束された70週の残された1週(7年間)と主の再臨と関係するように思われます。イエスは週の真ん中に公けに教えを始めました。イエスの教えは父の教えであり、自分の栄光ではなく、父の栄光を求めます。今日自分の栄光を求める自称預言者だの使徒だのが大勢現れています。自己栄光化の霊はキリスト教界に蔓延しているのです。父の栄光を求めるとは、イエスの栄光の事であり、それは十字架です。今の経綸では、私たちはひたすら低くされること、人々から拒絶されること、あなどられること、です。しかしこの道こそが私たちを守ります。キリスト教界からすらも同じ反応を受けるでしょう。イエスはユダヤ教徒の行動(割礼と安息日)の矛盾点をするどく指摘されました。宗教には必ず矛盾があります。しかしいのちは理屈や論理を超えたところにあります。肉の割礼の有無は問題ではないのです。霊による心の割礼が重要なのであって、愛によって働く信仰、新しく創造される事こそが新しい契約の要です。宗教システムから解放され、神の新創造として、このいのちを楽しみましょう。私たちはある面で、まことの仮庵の祭りを楽しんでいるのです!


<<週報メッセージアウトライン>>
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人となられた神J



■御言葉:ヨハネ7:1-24

@仮庵の祭り(収穫祭;レビ23:34-36;申命記16:13):チシェリ(7の月)の15日、7日間継続(民数記29:12-34)、8日目には盛大な集会(同29:35-36)、喜びの祭り
A兄弟たちの不信仰とイエスの態度:時が来ていないとしてガリラヤに留まるが、密かに祭りに上る;主の二面性:「密か」と「公け」→最後の7年(ダニエル9:24-27)、再臨の様と関係するか(?)
Bイエスに対する評価(12節)
Cイエス公けに出現(14節):祭りの半ば(3日半)
D教えの源:イエスの教えは父の教え、自分勝手な教えは自分の栄光を求める(16-18節)
Eモーセ律法の欠点(19-23節;cf.ヘブル8:6,7):ユダヤ宗教の教義の矛盾性
Fまことの割礼を授ける方はイエスのみ:霊による心の割礼が実体(ローマ2:29)
G信仰(霊の契約)の割礼(肉の契約)に対する優位性(ローマ4:12;ピリピ3:3;ガラテヤ5:6;6:15)
H正しい裁き(判断)の必要性(24節):イエスはモーセ律法のレビ系の大祭司に勝る、いのちの主メルキゼデク系の大祭司としてここにいるではないかと証しされる。そのI AMを認めることが正しい裁き



■暗証聖句

7:16わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。
7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。
7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
ガラテヤ5: 6 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
ガラテヤ6: 15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
ピリピ3: 3 彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。