Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2006.03.26

主を知り、主に聞き、主を語る

本日は英国のKFMにおいて、The Way Of The Spirit Bible Reading Courseの働きをしているPennyさんに、現在の英国での主の導きとみわざについてシェアしていただきます。彼女たちはNorwichにおいて働きをしていますが、いわゆる礼拝形式はとっていないとのことです。キリスト教の伝統は、牧師がいて、信徒がおとなしく礼拝に出席して、牧師からメッセージをいただいて、満足を得て帰途につくという形式ができてしまいました。ちょうど学校の先生と生徒のような関係になっており、牧師は人々を満足させようとし、信徒はただ受身的に満足をもらおうとします。かくして牧会サービス業になっているのです。しかし新約においてもっとも大切な真理は、各自が直接主から聞くことができると言うことです。ヘブル書に「また彼らがおのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』ということはけっしてない。小さい者から大きい者まで、彼らはみなわたしを知るようになるからだ」とあるとおりです。これが新約の聖徒である私たちの特権なのです。主は今ある特定の人だけを通して語るのではなく、ひとりひとりに対して直接語るのです。人に頼ることをやめ、ただ主に頼り、人からの慰めや励ましではなく、主からの慰めと励ましに与ることができるのです。ひとりひとりはみな祭司です。その祭司の特権を放棄しないように、今までの考え方・先入観から解放されて、主イエスとのいのちの交わりに与るのです。この交わりの中で神は直接に語ってくださるでしょう。



■暗証聖句:ヘブル8:11;ヨハネ10:27;2コリント4:13

また彼らがおのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』ということはけっしてない。小さい者から大きい者まで、彼らはみなわたしを知るようになるからだ。

わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。

「私は信じた、それゆえ語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じたゆえに語るのである。