Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.01.16



いのちの務めI―心を守る―

クリスチャンの交わりの本質はいのちの共有にあります。自分の聖書解釈や神学や経験や実績、あるいはビジョンや実行を共有するのではなく、ただいのちをシェアすることです。お互いに魂のエネルギーが依然として残り、個性もあり、価値観も多様であり、人生観も違い、行動パタンも主義主張も違いますから、その部分で葛藤や軋轢は当然に起きてきます。教会は人間標本展示場であり、問題のるつぼです。その中でもっとも大切にすることは、いのちの流れを妨げないことです。いのちはわたしたちの心から湧き上がります。心を硬くするときに、いのちの流れがストップします。いのちが流れなくなると互いの関係はただ問題だけとなります。教会は人間関係の「地獄」と化します。互いの間のいのちの流れを守るには心を守る必要があります。神に対して、人に対して、自分の良心に対して心を頑なにしないことです。特に人に対して恨みを抱く時、心は凝り固まります。逆に人から恨まれる時も、心は痛みます。心を自由にするために、人を赦し、また人に赦してもらう必要があります。赦すこともしばしば難しいですが、赦してもらうことはもっとリスクを伴います。相手に自分を委ねることだからです。しかし互いの間に僅かでも真実があれば、和解は可能です。このときいのちの流れは回復し、自分のメンツやプライドを失うかもしれませんが、いのちを救うことになります。いのちを共有することを私たちの第一のプライオリティとできたら幸いです。



1.クリスチャンの交わりの本質

@神学や立場を共有するのではなく、いのちの共有
 経験も共有できる場合とできない場合がある


A霊のいのちを流し出すこと


2.いのちの泉は心から湧く

@力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく(箴言4:23)。

A心を頑なにしない(ヘブル3:15)

 ・赦すこと(マタイ6:14)

 ・赦してもらうこと(マタイ5:23)

B 心の粘着力から解かれる→いのちの流れを阻害する要因の排除