Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.11.21



いのちの務めC―失えば得る(その2)―

神の永遠のご計画は私たちの霊のうちに神の国の種をまき、それを私たちの心の中に成長させることです。地上において幸福になるとか、社会平和をもたらすとかは本質ではありません。この内なるいのちの産出と成長が神の国そのものです。このいのちは霊のものであり、体のものでも、魂のものでもありません。むしろそれらは阻害要因となり得ます。私たちの魂には思い・感情・意志の3つの機能がありますが、魂を否めという時、この機能を否定するのではありません。「自我を砕く」という標語がクルシチャンを作り出しています。魂的なエネルギーを否む必要があるのです。私たちの精神はある種のエネルギーで作動しますが、フロイトはリピドーと呼んでいます。しかしフロイトの方法には救いはありません。魂が魂のエネルギーで独立して作動する時、私たちの霊のいのちは抑圧されてしまいます。魂の内的なヤリクリそのものが心の病を生じます。魂にはきわめて強固な粘着性があるのです。そこで十字架がこれを切り離します。十字架の経験は苦痛ではなく、実は甘く、安らかなものです。その部分が切り離されるならば、内側は解放され、リラックスし、霊のいのちが伸び広がって、そのいのちをエンジョイすることができるようになります。こうして霊のいのちの成長を妨げる要因を十字架が取り扱ってくれるのです。単なる「自我を砕き」的霊的不毛性から解かれましょう。すべてはいのちを内側に産出し、成長させるために計画されているのです。


1.魂の救いの原則

@自分の魂を救おうとすれば失い、失えば得る(ルカ9:23,24)
A自分で自分の魂を守ろうとすること自体が葛藤の原因→自己防衛機制
B魂のもの(メンツ・プライド・評判・達成・実績など)を失う時、霊的いのちを得る→解放感と満足感に満ちる


2.魂の特性:粘着性

@いのちの障害=魂の力
A魂の二要素
・魂の機能→滅ぼされない
・魂のエネルギー→否む必要がある(霊感情観念複合体)
B霊感情観念複合体は魂の粘着性による→心を病む原因
C十字架はこの粘着性を切り取る→痛みはあるが、甘い、平安、安息、解放をもたらす


3.十字架の力:いのちの産出のため

@霊と魂を御言葉によって切り分ける→魂のエネルギーの源を溶かす、時に砕く
Aその目的:いのちを内側の隅々に行きめぐらせ、内側を解放し、いのちの領域を伸び広がらせる→神の国の内的拡大(マルコ4:26-29)
B単に「自我を砕きぃ〜」的クリスチャンは味気ない→不毛な霊的生活
Cすべて物事の判断は、いのちを産出しているかどうかで判断できる



■暗唱聖句:マルコ4:26−29

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。