Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.05.16


霊と魂の分離(6)

霊的になるとは何かの霊能力や超能力を有することではありません。人になるということです。神は人をご自分の形に、またご自分と似るように造られました。人は神とある種の要素を共有しているのです。堕落前のアダムとエバはどのような人間性を享受していたことでしょう。しかし罪によってその栄光に与ることができなくなりました。人間性が損なわれたのです。時いたり神が人となり、イエスにあって損なわれた人間性を回復しさらに栄光化してくださったのです。私たちもイエスのしいと復活に結合されることにより、イエスとひとつにされ、イエスの経た経験を自分のものとして、それに与ることができます。私たちはイエスと共にアダム系列に死に、イエスと共に復活し、イエスと共に昇天し、いまや天の所に座しているのです。イエスが勝ち取ってくださったものはすべて私のもの。イエスがエンジョイした御父との関係を私たちもこの地上において、弱くかつもろい人間性において享受することができるのです。むしろ神はあえてこの弱い人間性においてご自身の業をなされ、ご自身を現されます。私たちは自分の弱さを誇るべきです。人であることは元々祝福されていました。さらに神はイエスにおいて失われた人間性を改めて祝福してくださったのです。聖となるとは、人間になることです。キリストをエンジョイするとは、人間性をエンジョイすることです。


1.人であることは祝福されている

@受肉の奥義―神が人になった(ヨハネ1:14)

A神は人をご自分の形(外面性と内面性)造られ、祝福された(創世記1:26-28)
→我々にかたどり(外面性)、我々に似せて(内面性)、人を造ろう。


B人間性の奥義―人であることは祝福であり、神は人間性を尊ばれる(詩篇8:4;144:3)

C弱さにおいて働かれる神→自分の弱さを誇る(2コリント12:5)


2.霊的になるとは人になること

@霊的とは超能力や霊能力を得ることではない。

Aイエスの十字架と復活は、人間性の回復のプロセス→アダム系列の終焉とキリスト系列への復活

Bヒュポスタティック・ユニオン:イエスは神性と人性が結合され、一人のパースンをお持ちの方(二性一人格)→神であり、同時に最も人間であった方

C人間性において神の御性質に与る(2ペテロ1:4)

D回復された人間性を生きる=キリストをエンジョイする

E聖を現す=完全なる人間性の表現→究極は神と人が共に住まう!