Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.04.25


霊と魂の分離(3)

御子の御名イエスとは「神は救い」という意味です。私たちの救いは天地を創られた神から来ます。神は自ら救わない者を救って下さるのです。肉とは自分で自分を救おうとすることにほかなりません。十字架を負うことは魂の自分による救いを放棄することです。あらゆる自分の価値、自分の安全、自分の満足、自分の喜びなど、自分由来のものを捨てることです。このときすべてはキリスト由来のものが私のものとなります。十字架の真の意味と経験が回復される必要があります。十字架には痛みが伴いますが、同時に霊における神の慰めが迫ります。私たちの傷の中に神の愛が御霊によって塗り込まれるのです。傷を受けることは幸いです。それを自分で癒そうとするのではなく、十字架の適用を受けることです。十字架には慰めがあり、癒しがあります。もし人から慰めを受け、自分で自分を癒そうとすれば、この幸いな十字架の慰めと癒しに与ることはできないでしょう。一度その甘さを経験すれば、私たちは何も恐れることがなくなります。傷を受ければ受けるほど、十字架の祝福に与るのです。イエスがどのような喜びを経験されたと思いますか。十字架にこそ、あらゆる神の富があります。力があります。慰めがあります。御霊は十字架と共に私たちの中に働き、キリストを造り込むのです。

十字架の道

@神は自ら助けない者を助ける−イエスの意味:神はわが救い(詩篇62:2,6)

A魂がうずく理由:自分が何とかしないと落ちてしまうという恐れ・不安・焦りによる

BFear=False(偽りの) Expectation(期待が) Actually(現実に) Realising(成就する)

C自分を自分で救わないこと=信仰=義、自分で自分を救うこと=不信仰=罪

D自分の置き所、自分の満足のルーツ、自分の喜びのルーツ、自分の平安のルーツ、自分の人生の担保、これらすべてをただキリストとすること

E私たちが死にとどまるとき、それは他の人のいのちとなる(2コリント4:12)

Fトマス・ア・ケンピスの言葉(別紙