Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2003.08.31

御言葉の学びシリーズ

自分のたいまつを灯さない

私たちは自分の境遇が闇に包まれ、問題で囲まれてしまうように感じられるとき、自分のたいまつを灯す傾向があります。それはちょうどマッチ売りの少女のようであり、瞬間的には光が見え、暖かくもあるのですが、すぐに消えてしまいます。こうしていつか私たちの資源は尽き果てるのです。しかし神は自分のたいまつを灯すなと言われます。暗闇の中でも御名に信頼し、神だけを当てにする必要があります。私たちはこの面でしばしば試されます。自分を自分で救おうとしている限りは神の業を見ません。そしてついに万策尽きる時、神の超自然的介入があるのです。神は私たちを決して見捨てませんし、むしろ助けを与えたいのですが、私たちがそれを拒んでいるのです。主に立ち返ることが遅いのです。しかし主に立ち返るならば、ただちに破壊がもたらされた時よりも早く、神の救いの業がなされます。神は私たちが神だけを当てにする信仰を求められます。これは自分でもがいて得られるものではありません。ある一定の時期、暗闇に留まる必要があります。しかし時が来れば、御霊によって御言葉が光を放ち、信仰が息吹かれます。このとき、私たちは「得た!」と分かるのです。これが信仰の瞬間です。そのとき実は神の身元にあらゆる豊かさとエンジョイが満ちていることを経験するのです。神の光がともるのです。この経験を通る時、闇を恐れることはなくなります。神の臨在があれば闇も光です。


1.神は自ら助ける者を助けない

 @ 神は人の手助けは要らない(イザヤ50:2) 注:とりなしは必要(イザヤ59:16)

 A 私たちはしばしば自分の資源を当てにする→自分のたいまつを灯すこと(イザヤ50:

  10,11)

 B しばしばすべて万策尽きた時、神の超自然的介入がある


2.神の御心と約束

 @ 神は見捨てない(イザヤ49:14-17)

 A 神を頼りとするようになる(イザヤ49:23)

 B 神の御手のわざ(イザヤ51:12-16)→慰めを拒んではならない(エレミヤ31:15)

 C 主の確実な御心(イザヤ54:10)

 D 神の豊かさを享受する(イザヤ55:1-3)

 E 主の永遠の契約−霊と御言葉(イザヤ59:21)


3.御言葉が光を放つのを待つ

 @ 預言の御言葉に目を留め続ける(2ペテロ1:19-21)
 
 A 御言葉が開けると光を放ち無学な者に知恵を与える(詩篇19:7、119:130)


 B 神には闇も光のよう(詩篇139:12)

WWJDではなく、Let Jesus DO!(LJDO)



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