何も無いない時|キングダム・フェローシップ

何もないと感じる時に



彼は・・・地を何もない所に掛けられる(ヨブ26:7)。

「私たちが判断するよりも、はるかにすぐれたことをなして下さる神に信頼せよ」

何事かで神に助けを求める時、自分が持っているものを神が用いて助けられるに違いないと思いたがります。神が私たちの必要を満たそうとなさる時、つい目に見えるものを求めがちになるのは人間的なことです。絶望に陥った時、たとえ少しのことでも、神が助けて下さるということが分かれば、わたしたちはかなり満足するように思います。それはまとまった金が必要になった時、だれからも、どこからも借りる当てがないときは、絶望的になるのでも分かります。前途が負債ばかりでしたら、助け出しようもありません。

神を信じる私たちは、こんな場合どうしたらよいのでしょうか。負債だけで、解決の道はまったくないのでしょうか。

いいえ、あります。あなたの上に、下に、まわりに。地上と空にはいいつくせない富が満ちているのです。神に目を向けなさい。目に見える何かの助けを見る必要はありません。まして、神が何かの助けを必要とするわけはありません。神は事を始めるにあたって、何ものも必要とされません。

「はじめに神は天と地を創造された」のです。

何から天と地を創造されたのでしょうか。何もないところからです。申し分のない地球が何もないところからつくられたとは・・・。地球ができるためには、何も使われなかったことを覚えなさい。「彼は何もないところにかけておられる」。ちゃんとかかっています。何もないところから地球や太陽、月や星をつくられる神、そして何もないところにそれらをかけておられる神は、仕事を始めるときに、何か元になるものがあるなしにかかわらず、あなたの必要を完全に満たして下さいます。神に信頼しなさい、そうしたら、神はあなたの面倒を見て下さいます。何もないところから、あなたの必要を満たさなければならないとしても・・・・・。(あるトラクトから)

静かに横たわって休む時、苦悩の思いは消え去ります。
服を脱ぐように、心配や悩みを脱ぎ捨てなさい。
祈りの静かな腕に、重荷や苦労をおろしなさい。
           −ヘンリー・バン・ダイク

■出典:「荒野の泉−第U編」、カウマン夫人、日本ホーリネス教団出版部、pp.343-344

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